(047) 「日本国」の中の「東京国」ということ

以前、米CNNテレビのニュースサイトで、世界一魅力的な都市として50の理由を掲げて「東京」が挙がったことがある。*

*米CNNテレビが発表している「東京が世界一魅力的な都市である理由50」に、次のようなことが挙げられていた。
世界一優れた交通システム・世界最多のミシュランレストラン、若者ファッション、アートカフェ、隅田川の屋形船、お祭り三昧、地上数十メートルもの高さでビルの隙間を潜り抜けながら走る(首都高)、巣鴨地蔵通り商店街(おばあちゃんの原宿)、世界一混雑の凄まじい渋谷駅のスクランブル交差点、電車一本で行ける高尾山、狸・キジ・狐など動物達の都心の聖域(皇居)、高級ブランドの街(銀座)等などとその理由が挙げられている。

確かに東京はもろもろの顔を持っている。そして世界中のものが揃うのも東京であり、まことに飽きることのない刺激的で魅力的な街だと思う。
まるでワンダーランドと言った感である。しかし一方東京はバラエティーに富み変化の激しいため街であるため、精神的にはあまり落ち着きのない街とも言える。

他の国の首都がどのような状況かは住んだことがないので良くは分からないが、東京の場合は普通の大都市と言ったものを超えて、異質なものを持っているようにも思えてくる。
以前東京に住んでいた頃のことを思い出すと、(住んでいる時にはあまり感じないが)その慌ただしさから、いつも何かに追い立てられていたように感じていたように思う。
地方出身の人だったらこの気持が分かられるのではなかろうか。

東京居住者の多くは、すべての情報が東京に集まっているために、無意識の内に「東京が全て」と言った意識が充満し、地方のことが見えなくなっているような気がする。
「日本国」に住んでいるというよりも、言わば「東京国」といった別の国に住んでいるという感覚になっているように思われるのである。
東京以外に住んだことのない人は特にこの傾向が強いように感じる。

地方に住んでいると大量の情報が東京からもたらされる。誰しもその情報を元にして地方のことを考えることとなる。
地方に住む人々は、その行動の仕方は東京とはまったく違うが、東京発情報の浸透具合から、感覚の面だけを取り上げれば東京とほぼ同様な感覚を持つこととなる。
しかして全国津々浦々まで情報が行き渡り均一化された現代日本社会では、地方独特のものは生まれにくいということになる。過去に培われた地方文化を育てるしか手がないようだ。

今、地方再生がうんぬんされているが、かかる現実では地方の活性化はなかなか難しいことだろう。
ただ、中小都市においては東京と比較しても日常生活に困ることもなく、ことに住環境については東京より地方の方が優っていることは明らかである。
「東京は住むところではない」と皆言う。そのとおりだろうと思うが、でも東京の魅力から離れることが出来ないのだろう。

これからも高齢化社会はますます進んで行く。また各地方も人口減により空き家がどんどん増えて行っていると聞く。
高齢化社会における地方再生を考えるに、『居住する』というキーワードで何か良いアイデアが浮かばないものだろうか。終の棲家を地方が提供し、何か高齢者でも出来る仕事を東京から移転することは出来ないものだろうか。

(全国の中小都市に巨大な「シニアセンター」なるものを作って、東京からもろもろの異業種を集め、そこに共生社会をつくる。)

ルノワール(1841年 - 1919年)  「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」

ルノワール(1841年 – 1919年) 「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」

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