(036) ものを「書く」ことの効力

(037) ものを「書く」ことの効力

「ものを書く」という行為は、そこに「考える」という副産物を伴うため、いろいろな効果を得られるのではないかと思う。

例えば、次のようなことが考えられる。

1.「書く」ことは、自分と向きあうことになるので、自己分析・自己洞察に繋がる。
2.「書く」ことは、自分のモチベーションの向上に繋がる。
3.「書く」ことで、自分の考えが整理され、掘り下げられる。
4.「書く」ことで、断片的に漫然と思考していることが整理され、
  系 統 立てて物事を考えることができるようになる。
5.「書く」ことは、記憶力の向上につながる。
6.「書く」ことで、感情の浄化作用が行われる。
7.「書く」ことが、自分と折り合いをつけることになり、ストレス開放に繋がる。
8.「書く」ことで、過ぎ去ったことの追体験が可能になる。
9.「書く」ことで、文章作成能力が高まる。
10.「書く」ことで、新しいアイデアが浮かんでくることがある。
11.「書く」ことで、自分のミスに気づく。
12.「書く」ことで、思考力を鍛えることが出来る。

これ以外にも、人によってはもっと別な利点を感じている人もいるであろう。
「書く」内容は人ぞれぞれである。ブログでもSNSでも、また日記などは更に利点があるように思われる。
特に日記については、カウンセラー、ソーシャルワーカー、セラピストの人たちも、患者の方にこれを勧めているとのことである。そして「書く」ことを習慣づけることで効果は上がる。
また一般的に「手書き」の方が、効果は上がると言われている。

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(035) 海外旅行はその国の歴史を調べてから旅行すると楽しみが倍加する

昨今は海外旅行も日常的なものとなった。
海外旅行といえば、やはりその土地の名所旧跡を見て回ることが多いであろう。
見て回るだけでもそれはそれで楽しいことであろうが、折角の海外旅行であれば、もっと心に残るような旅をしたいものである。
そのためには、その国の歴史を前もって勉強して行くことではないかと思う。これが中身の濃い旅行のためには、最も効果的ではないだろうか。

観光を予定している国の歴史を、ネットなどで出来るだけ詳しく調べて頭に入れておく。
コピペなどして旅行に持参して行くのも良いだろう。余裕があれば、事前に(その国・その時代)の小説を読んだり、映画を見たりしておけば、なおさら観光の味わいが深まろう。

また有名な絵画展などが旅行の予定に入っているのであれば、どんな絵画が展示されているのかを事前にネットや本などで調べておく。
さらに気に入った絵画の描かれた場所を調べておいて、そこを訪れてみたりすると興味も倍加することだろう。

例えば、パリ:ノートルダム寺院を訪れた時、ビクトル・ユーゴーの小説「ノートルダム・ド・パリ(邦題:ノートルダムのせむし男)」を思い出して、更なる好奇心を掻き立てられることもあるだろう。
また、画家ユトリロがよく描いたモンマルトルの一角、今でも店を開いている酒場「ラパン・アジル(うさぎ亭)」に行ってみる、など様々な旅の楽しみ方もあるだろう。

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(034) 親の遺伝子にこだわってはならない

当然、科学的には親や祖父母など先祖の遺伝子を、ある程度は受け継いで生きているのだろう。どのような遺伝子をどの程度受け継いでいるのかは分からない。
よく世間では、善かれ悪しかれその人の性向や習性を見て「親がこうだから・・・・」などと、言ったりする。
自分自信もまた、善かれ悪しかれ「親がこうだったから・・・・・」などと思ったりする。

かりに、親の悪しき遺伝子(例えば、博打好きとか大酒飲みのか)を受け継いでいるのではないかなどと思ってしまうと、それを払拭したいと努力しようとする。
「努力しようとすればするほど、それから逃れられないような気になり深みにハマり込んでしまう。」
・・・と、このようなこともあるだろう。

世の中には、親とはまったく逆の性向や習性を持っているように見える人もいるし、また親と同じような性向や習性を持っているように見える人もいる。
顔かたちや肉体的なものは明らかに受け継いていると見られる場合は多いが、特に精神的な遺伝子の場合は(私の個人的な印象としては)遺伝的継承性は低いように思われる。
「人間の性向や習性は生まれてこの方生活してきた環境によって、そして生きてきた時代によっても、大きく変化するものである。」
このことは、誰もが実感しているのではないだろうか。

親や祖父母くらい迄はその性向や習性を見聞きして、何となく想像できるかもしれないが、それ以前の先祖の人たちがどのような性向や習性を持っていたかを掴むのはなかなかむずかしい。
おそらくそれぞれの時代の環境によってその行動パターンも、大きく変化してきているだろう。
先祖の何代もの間で受け継がれてきた遺伝などというものがあるのだろうか。
それを考えてもあまり意味のないことのように思われる。

という訳で、遺伝子などにあまりとらわれる必要な無い。とらわれすぎると、自分の真の生き方が阻害されてしまうのではないだろうか。人の幸不幸は遺伝子が決めるわけではない。

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(033) コンピューターのデータ量単位が、ますます巨大になってきた

最近「ビッグデータ」という言葉はよく耳にするようになった。
これとともに、データ量の単位も(ペタバイト、エクサバイト)などの、聞きなれない単位もたまに目にするようになってきた。

● 「ビッグデータでどんなことができるの?」 http://goo.gl/oKahUi
「ビッグデータ」という言葉を見聞きする機会が増えています。情報端末の進化やソーシャルメディアなどのIT(情報技術)サービスの普及にともない、多様で大量のデジタルデータが日々生まれるようになりました。これがビッグデータです。データを処理・蓄積する情報機器の性能や分析技術が飛躍的に向上したことにより、ビッグデータをマーケティングや商品開発、業務改善などビジネスに生かす企業が増えています。国や自治体も注目しており、防災や医療、農業など様々な分野で活用が期待されています。
〔nikkei4946.com より〕

ビッグデータ図解-日経

ビッグデータ図解-日経

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【データ量を表す単位】
ビット(Bit) → バイト(Byte) → キロバイト(KB) → メガバイト(KB) → ギガバイト(GB)
→ テラバイト(TB) → ペタバイト(PB)→ エクサバイト(EB)

(1ペタバイトを単位変換した場合)
1,000兆バイト →  1兆キロバイト → 10億メガバイト → 100万ギガバイト
→ 1,000テラバイト → 0.001エクサバイト

・CD=約140万枚分
・片面1層式のDVD=約20万枚分
・25GBのBlu-ray Disc=約4万枚分
・32GBのiPhone=3万2千台分

(一般には想像もできないような数字ですね)
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ビッグデータは、主に企業がマーケティングや商品開発、業務改善などビジネスに生かすために利用するものであるが、対称となるのは私達個人のデータである。
個人情報保護にはこれまで以上に注意してもらいたいところである。

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(032) 「計画された偶然性」でチャンスを掴む

「計画された偶発性理論」(Planned Happenstance Theory)というものがある。

これは、米スタンフォード大学のジョン・D・クランボルツ教授が提唱したキャリア理論で、個人のキャリア形成は予期せぬ偶発的な出来事に大きく影響されるものであり、その偶然に対して最善を尽くし、より積極的な対応を積み重ねることによってステップアップできるという考え方である。

昨今は昔と違って転職する人も多く、よくキャリア形成の話を耳にするようになった。キャリア形成とは、「なりたい自分」をかかげ、それを叶えて行くためのプロセスを言う。とは言っても、計画通りに進まないのが現実である。

特に変化の激しい現代においては、あらかじめ計画したキャリアに固執しすぎたりすると、逆にうまくいかないことだってあるだろう。

クランボルツ教授は「個人のキャリアの8割は、予想しない偶発的なことによって決定される。」と言っている。 この理論は、「個人のキャリア形成をもっと幅広くとらえ、その偶然を積極的に利用し、これを最大限に活用しよう。」
と言っているのである。これを実践するために必要な行動指針として、クランボルツ教授は次の5つを挙げている。

「好奇心」 「持続性」 「楽観性」 「柔軟性」 「冒険心」

偶然な出来事を誘発させるためには、まずは行動を起こすことが必要である。あまりがんじがらめに考えずに、漠然と将来起きてほしい偶然の出来事を想い描き、その方向性を考えながら行動を起こしてみる。

好奇心にもとづいて、学んだり、探し求めたりしながら、新たな「偶然」が自分に舞い込んでくるように仕向けていく。
いつも心にアンテナを張っていれば、直接は関係のない仕事などからも「偶然」に出くわすこともあるかもしれない。

興味のあることとか、自分を試してみたい何かがあれば、積極的にそこへ飛び込んでみる。また、それに関係あるような仲間を作っていく。

(この理論ではこのようなことが考えられるのではないだろうか)と、自分なりに考えてみた。
どうしても今の仕事に行き詰まっているとか、定年間近で次の仕事を模索中の人などは、この理論も考慮の一つに入れておいても良いかもしれない。

それなりのスキルを持っているとか、そうでなければ今までに培ったキャリアを活かすことを考えた上で、行動することが大切なように思う。

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(031) 音楽は聴く場所によって心象が違ってくる

以前、中欧のツアー旅行でモーツアルト生誕の地ザルツブルグへ立寄ったことがある。ザルツブルグ観光を終えバスで次の観光地ウイーンへ向かう際、ツアーコンダクターの方が日本から準備してきた、モーツアルトのCDをバスの中で聴かせてくれた。

その時、いつものとはまったく違う琴線を震わすような感動的なモーツアルトに聴こえた。私のような素人視聴者にとっては、かくも聴く場所にによって感興が異なるものなのかと思ったものである。なぜこうも異なる感興が自分の中に起こったのか。

モーツアルトという意識が強く私の心を占めていたからかもしれないし、ザルツブルグという旧市街の残像が強く頭に残っていたからかもしれない。(モーツアルトの作風とは直接関係のないことだが、その日は小雨交じりの日でもあり、ザルツブルグ旧市街は冷たく城壁にかもまれ、人を拒絶するかのような冷徹で暗い印象を持った。)
また私自身の性分が左右するところも大きいのかもしれない。

当時のことを思い出して、何事を始めるにもやはりそれなりの雰囲気を整えることも大切なんだろうなと、最近思うようになった。とくに音楽を聞くときは、部屋にそれらしい絵画や写真を壁に掛け、窓辺に花でも置いて聴こうかななどと思っているところである。

ウジェーヌガリエン-Laloue (1854-1941)

ウジェーヌガリエン-Laloue (1854-1941)

(030) 昨今 日本人は少々 ”てぼめ” がすぎるのではないか?

”てぼめ” :自分で自分や身内のことをほめること。

「日本を見直そう!」「日本人の良さを見直そう!」などと、昨今日本に関する色々なことに対して ”てぼめ” が流行っているように思う。
高度成長期が過ぎ、長い間の経済停滞の時期を過ごしてきて、何とか自分自身を奮い立たせようと言った心理が働いているのかもしれない。それはそれで悪いというわけではない。

又このようなことも言えるだろう。
明治維新以来日本は欧米に追いつけ追い越せと、短期間に大きな成果を上げながら進んできたが、第2次大戦で敗戦の憂き目を見ることとなった。
無意識に日本人は自己批判を行いながら、新たに欧米文化を追い求めて、経済成長とともに先進国の仲間入りを果たした。
しかし、世界に対して自分を卑下する気持ちからは、なかなか抜け出すことができなかった。

今諸外国を見るに、日本の素晴らしいところも多々あるではないかと、あらためて自国の美点を認識するようになった。また戦後の長い間、日本は諸外国に対して低姿勢で礼儀正しく対応してきたおかげで、敵対する一部の国を除いては、諸外国から日本の良さが認められ好意的に迎え入れられるようになった。そこで、「自分を褒めてあげよう」と言った気持ちが広がってきた。

精神的なものだけではなく、技術的に優れている点は世界が認めるところであり、また四季折々の美しさを見せる日本の国土は、変化する自然の美を享受できる意味で、内外からあらためて見直されているのではないだろうか。

まあ、このようなことが背景に考えられるように思うが、”てぼめ” も度が過ぎると見苦しくなる。
そして、ちょっと大げさかもしれないが、これが国民的意識として定着してしまうと、今後の日本の進展に影響が出てくるのではないかと危惧するのである。
悲しいかな、人間は変化と進化を止めてしまうと停滞ではなく退化が始まる。

YouTube<https://www.youtube.com/watch?v=aV1orzGDVvg> 「Romance In Venice Full Album Instrumental Music」

YouTube<https://www.youtube.com/watch?v=aV1orzGDVvg>
「Romance In Venice Full Album Instrumental Music」

 

(029) 隣の芝生は誰にとっても青いもの

よく「他人の生活ぶり」や「他人の持ち物」などに、妬むほどではないまでも羨みの言葉を発する人がいる。 『隣の芝生は青い』とか『隣の花は赤い』などと言われるものである。

※ついでに蛇足だけど、「隣の芝生は青い」は
(The grass is always greener on the other side of the fence.)の訳。

言うまでもないが、「他人のものは自分のものに比べるとなんでもよくみえて羨ましくなる」ということである。しかし、分かってはいても、なかなかこの気持から抜け出せないのが人の心理と言うものなのだろう。

例えば「隣の主人は立派だ」とか「隣の子どもたちはしっかりしている」とか、「サラリーマンは時間に縛られて大変だけど、あの人は自由に働ける仕事だから羨ましい」「○○さんはいつも高級な服を着ている」などと、羨む中身に違いや程度の差こそあれ、誰でも「隣の芝生は青い」と無意識の内に感じてしまうこともあるだろう。 昨今は転職も多いが、中には隣の芝生が青く見えすぎて転職に失敗することもあるだろう。

他人の幸せに見える生活の一部分に目を奪われて、自分の生活の中にある青い芝生に気づかない。社会の中での自分の幸福度を確認したい心理から、他人と比較し「自分の方が不幸なのではないか」などとと思ってしまう。
このような気持ちにとらわれていると、なかなか先へ進むことができなくなる。

時には、他人から<自分の芝生は青い>と思われているのかもしれない、と考えてみることも、また一考ではなかろうか。

クロード・モネ

クロード・モネ

(028) 『夜来風雨の声 花落つること知る多少』

【春暁】
春眠不覚暁・・・・・春眠暁を覚えず
処処聞啼鳥・・・・・処処啼鳥を聞く
夜来風雨声・・・・・夜来風雨の声
花落知多少・・・・・花落つること知る多少

この漢詩は中国唐代の詩人「孟浩然(もうこうねん):(689年 ~ 740年)」の有名な詩である。

私もその一人だが、むかし中学校あたりで習われた方も多いのではなかろうか。
漢字だけが並べられた文言から、その意味を汲み取る行為というのが、中学生の私にとっては何とも不思議な感じがして、印象深く記憶に残っている詩である。

日本列島はたびたび台風に襲われている。台風が過ぎ去り一段落すると、乱れ飛んだ木々の木の葉や飛び散った花々をながめて、詩の後段『夜来風雨の声 花落つること知る多少』のフレーズをよく思い出す。 そしてなんとなく落ち着きを取り戻すのである。

アルフレッド・シスレー: Alfred Sisley (1839年 - 1899年) フランス生まれのイギリス人の画家。

アルフレッド・シスレー: Alfred Sisley (1839年 – 1899年)
フランス生まれのイギリス人の画家。

(027) 地方再生と首都移転

いま地方再生問題が種々議論されているが、人口減少を迎える現在の日本社会では非常にむずかしい問題だろうと思う。いま議論されている中では、決め手となるものが見当たらないようだ。

いっそ以前から話題に登っていた「首都移転」を、地方再生問題と絡めて考えてみてはどうだろうか。 このよう、に少々思い切ったことを考える必要があるのではないだろうか。

「首都移転」は社会に大変なインパクトを与える問題だろうし、日本国土全体に大きな影響を及ぼすものと考える。これが21世紀の新しい日本を形作っていく起爆剤になるような気がする。以前からよく言われている(ニューヨークとワシントンの関係)のように、例えば大胆に 福岡 に首都を持ってくる。

これによリ九州全域・中国地方・四国あたりでは、激しい変化が起こるのではないだろうか。そして東北・北海道地域は、21世紀型の一大農業圏として国指導で強力に進める。

(ちなみに、近年 災害列島の観を呈している日本列島の中でも、福岡は比較的災害の少ないところである。また福岡市の南部には福岡県と佐賀県にまたがって筑紫平野が広がっており、さらにアジアの玄関口として、地形的にも適しているように思う。)

一日本人としての素人考えではあるが、我が国の行く末を案じるという気持ちから、このようなことを頭に思い描いてみた。

アルフレッド・シスレー: Alfred Sisley (1839年 - 1899年) フランス生まれのイギリス人の画家。

アルフレッド・シスレー: Alfred Sisley (1839年 – 1899年)
フランス生まれのイギリス人の画家