(046) 電子メールは重要な仕事のツール

今更ながらだが、電子メールで思うこと。

仕事上まったく面識のない人とも、メールでやり取りをする場合があるだろう。
適確に要件を伝えるのは当然のことだが、その前に相手に好感を持たれるような文章を書くことが大切である。

会って話せばとても感じの良い人でも、それが一旦メールとなると何ともぎこちなく、殺風景なメールを書く人がいる。このような人でも、手書きの手紙やハガキを出していた頃には、おそらく推敲を繰り返してから投函していたのではないだろうか。

特に仕事のメールには気を付けなければならない。
例えば、初めての人と仕事を進めようとする際、まずは相手の人柄を見ようとする。
簡単にいえば「好きか嫌いか」と言った感情が先に立つものである。ネット上であれば尚更である。

不躾と感じ取られるような文章であってはならない。
馬鹿丁寧で慇懃無礼と思われてもいけない。
要は「自分がもらって心地よいメールかどうか?」をよ十分配慮して書くことが重要である。

文章を書くのが苦手な人は、電子メールが出現して大いに喜んでいるのではないだろうか。
多くの人がそう思えるのだが、これはリアルの世界と比べてネットの世界を軽く考えているためである。
そのため、電子メールなら要件のみが網羅してあれば「OK」と、思い違いをしている人もいるようだ。

電子メールは、それとはまったく逆に考えなければならない。特に仕事上重要なメールは熟慮の上に熟慮し、配慮に配慮を重ねることで、相手に自分を受け入れてもらえるようにと考えながら書かなければならない。

クロード・ロラン(17世紀 フランスの画家)

クロード・ロラン(17世紀 フランスの画家)

(045) 平等と格差

西田幾多郎著*「善の研究」の中に(本来は「実在」に関して述べられたものではあるが、)次のような一節がある。『平等の中に差別を具し、差別の中に平等を具する』
人間社会にすべて平等などということはあり得ないことだから、そこに格差が生じ差別が生まれるのは当然といえば当然のことである。
人は生まれながらにして不平等に生まれついている。

身体能力の違い、体力の違い、頭脳の違い、欲望の度合いの違い、感情の持ち方の違い、何もかも同じものは一つもない。同じでないところに平等はありえない。
平等と感じるか不平等と感じるかは人によっても違う。
何もかも同じである世の中など想像だに出来ない。
かりに想像出来たとしても、それは何ものも存在しない「無」の世界と言うことになるのではなかろうか。

とは言え、我々は世の中の格差や差別に、時には涙し時には憤りを感じるのが人情というものである。
それは格差や差別を感じる際の程度の問題ではなかろうかと思う。
人間感情の許容範囲を超えたところに生じるものではなかろうか。
世界の歴史はこの格差や差別がもとで争いを繰り返してきた。
特に激しい経済的格差は近世の政治や経済の仕組みによるところが大きく、一市民として何とか改善出来無いものかと願うものである。

※ 西田 幾多郎(にしだ きたろう):(1870年5月19日 – 1945年)日本を代表する哲学者

クロード・ロラン(17世紀 フランスの画家)

クロード・ロラン(17世紀 フランスの画家)

(044) 「清貧のすすめ」は万人に通用するわけではない

「清貧のすすめ」という話がある。
(貧しくとも私欲を捨て清く正しく質素に生きること)

◎ 兼好法師:徒然草【第三十八段】にも次のような一節がある。
「名利(みょうり)に使はれて、閑(しず)かなる暇なく、一生を苦しむるこそ、愚かなれ」
(名誉や利得に振り回されて、心を静かに穏やかに過ごす間もなく、一生を苦しむのは愚かである。)

たしかにこのように生きることが出来れば、人間としての真の幸せを享受することが出来るのかもしれない。
しかし、これは誰にでも通用する話ではないだろう。世の中には極貧の生活を送らざるをえない人もおり、「清貧」などと、考えるような余裕はないだろう。
この話は経済的に十分なゆとりのある人に対して言った言葉であろう。

・また次のような故事もある。
◎ 孟子:「恒産無ければ恒心なし」
(常に一定の収入がなければ、きちんとした道義心や良識を持つことはできない。)

要するに、名誉や富に強欲にならずに、普通に働いでゆとりを持って普通の生活を営む。これが人間本来の幸せと言うことなのだろう。

・また「清貧のすすめ」とは程遠いことであるが、次のようなことわざもある。
◎ 「貧すれば鈍する」
(日々の生活に困るほど暮しに困窮すれば、才能や人徳がある人でも正常な気持ちを持つことが出来ず、心が貧しくなる。)

クロード・ロラン(17世紀 フランスの画家)

クロード・ロラン(17世紀 フランスの画家)

(043) ロシアのイメージ

「ロシアとはどのような国と思うか?」と問われて、アメリカなどと比べて今ひとつスッキリしない、少々隔靴掻痒の気持ちと言わざるをえない。

現在のロシアそのものについては強い印象を受けているのに、何故だろうと考えてみた。
それは、ロシアについての情報が欧米のそれに比べて少ないことと、ロシアの古い歴史を知らないからだろうとの思いに至った。
(古い時代のロシアの歴史は、教科書にもあまり出てこないようだし触れたことのある人も少ないようだ。)

ロシアの歴史は新しく、9世紀の末キエフ(現ウクライナの首都)を中心として統一国家と呼べるものが現れる。(日本ではその頃貴族文化の咲き誇る平安時代である。)
それ以前には、広大なロシアの地に一つのまとまった国家が成立することはなく、周辺の国々からは蛮族の巣窟という程度にしか見られていなかったと言う。

その後モンゴルに支配され、15世紀にモスクワ公国成立、17世紀ロマノフ朝がはじまり、1917年ロマノフ朝最後の皇帝ニコライ2世が革命により打倒され、ソ連の時代へと続き、1991年ソ連崩壊とともに現在のロシア連邦共和国が建国される。

ロシアの歴史についてのおおまかな知識は、革命によるロマノフ朝崩壊からマルクス・レーニン主義のソ連の成立、その後ソ連崩壊後のロシア連邦成立。
それと日露戦争のこと、北方4島問題のこと。この程度のことくらいしか私の意識に登ってこない。
共産主義革命と又その崩壊が、世界史上あまりにもインパクトが強かった所為か、それ以前の古いロシアの歴史はヨーロッパの歴史に比べれば、あまり意識したこともない。ロシア国そのものよりも、マルクスという名前だけが全面に出てきてしまう。

またロシアと言えば、文芸的にはドフと7エススキーやトルストイをはじめとした世界一流の作家を産み、音楽ではチャイコフスキーに代表される一流の作曲家の名前を上げることが出来る。 これらからも強い印象を受けている。共に19世紀以降の近年のことである。

このように近年のロシアについては、雑駁には把握している思いであるが、さて「ロシアとはどのような国と思うか?」と問われると答えに窮する。
近年の皮相的なロシアのことしか思い浮かばないため『ロシアの芯の部分』が何だか抜け落ちているような気がするのである。

ロシアはヨーロッパがルネッサンス以降どんどん発展変化している間、国民の大半は、人格的な無権利状態にあった農奴のままの後進国だったと聞く。
一国を本当に理解するには、その国の深い歴史を知る必要があるのではないかと、今更ながら思った次第である。

クロード・ロラン(17世紀 フランスの画家)

クロード・ロラン(17世紀 フランスの画家)

(042) 人は自分の近くの間柄の中で競争する

人間はたえず競争社会の中に生きている。
学業成績の順位、進学校選び、就活競争、会社では出世競争と、絶えず競争社会に身を晒している。
また自分が手の届く範囲で競争する。
例えば学業成績でも、自分が中くらいの成績だとすれば、トップクラスの者と競争しても仕方がないから、人は手の届く者との間で競争することとなる。

競争心を持つことは人間本来の姿であり、人類の進歩発展が進み、人間の向上心を生み出す事にもなるだろう。
しかし競争心のために、絶えずストレスの中に身を置かざるをえないことにもなる。
自分が他に優れば幸せを感じ、他に劣れば不幸を感じるものである。絶えずこの繰り返しの中で生活しているとも言えるだろう。

「A」という組織の中に入ると、その組織しか直接肌身に感じることができないので、当然その中で競争することとなる。
「B」という組織に入ると、またその中で競争する。

生きていくためには、そうならざるをえないということである。
競争心にも強弱がある。
競争心の強い人は出世競争に明け暮れて一生を終える場合もあるだろう。
このことが良いとか悪いとかいうものではない。
その人の性分にすぎない。

ただ、定年で競争社会に身をおく必要のなくなった時、「もぬけの殻」にならないように、気を付けなければならない。
よく言われる「組織を離れればただの人」。

人間社会であるからには、いずれの組織に身を置いても、出世競争に身を晒さざるをえないことには代わりはないだろうが、自分の能力や個性を組織に反映させることを中心に据えて、競争することが出来れば自分を成長させることができるし、その分幸せであろう。

競争に明け暮れるのは空しいものだと思ったときは、自分の生き方と折り合いをつけながら生きていくことが必要だろう。
そうしたからと言って出世競争に負けるということにはならない。

又、かりに自分だけは出世競争には加わらないと言った立場を取った場合、組織の生産性を低下させる要因の一つになるのではなかろうか。
そのような人が多くいる組織は、次第に衰退していくのだろうと思う。

クロード・ロラン(17世紀 フランスの画家)

クロード・ロラン(17世紀 フランスの画家)

(041) 京都は冬が良い

京都好きの人は多い。とくに春秋は観光客で大賑わいである。毎年必ず1回は京都観光をするという人もいる。

春、東山三十六峰の中腹にたなびく霞、鹿ヶ谷法然院真下の疎水の桜。
夏、四条鴨川の鮎釣り。 秋、三千院の少し先、古知谷阿弥陀寺の紅葉。
これらにしばし心を奪われる。

京都は、春も秋も言葉に尽くせぬほどの美しさを誇っているが、真冬の京都はまた格別である。
つらら滴る「大原の里」、うっすらと雪の降りそそぐ「金閣寺」、凍てつく寒さに静まり返る古代佇む「広沢池」で幽玄の世界に遊ぶ。
等など捨てがたいのが冬の京都である。自己の内面に誘いこまれるような雰囲気を持っている。

京都の日々は、春夏終冬、自然の中で都市生活を送ることが出来る。
そして、自然と一体化した日々の生活が、人生の深い疑念も解消してくれるようだ。

法然院

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