(040) 宵闇せまれば悩みは涯なし

『宵闇せまれば悩みは涯なし』

これはむかし流行った歌謡曲「君恋し」の中のワンフレーズである。
人に悩みは付きものである。悩みの種類も人さまざま、悩みの無い人などいない。
特に若い時の精神的な悩みは、感じやすく悩みの期間も長く続くことがある。

悩みの解消手段の一つは、冷静に客観的に自分を見つめ分析することで、多少は解決できるかもしれない。
しかし、考えて解消できる悩みをあるだろうが、どんなに考えても苦しんでも解消できない悩みもある。

よく「時間が解決する」と言うが、これは時間の経過とともに、自分も自分の周囲もすべてが変化して行くことにより、次第に解消されて行くと言うことだろう。
『時は偉大な癒し手である』と言う格言もあるように、精神的な深い悩みをかかえている場合は、ここで言うようにやはり時を経過しなければ解消には至らないのではなかろうか。

悩みを持っている間は大変苦しいことであろうが、時期を待つしかないように思う。
自分をそのままの状態で放置して、(また明日考えよう。
眠っている間は悩まなくて済む。)とい言う気持ちで床につく。
人によってはこのように対処することも出来るかもしれない。
また時間の経過とともに、人間にはいずれは「忘却」と言う救いもある。

ヘンドリック・アーフェルカンプ (1585年 - 1634年) オランダの画家

ヘンドリック・アーフェルカンプ (1585年 – 1634年)
オランダの画家

(039) ウォーキングの効用

ここ数年春夏秋冬、特別なことがないかぎりほとんど毎日1時間ほど歩いている。
早朝、日が昇る直前ごろ家を出る。春や秋はウォーキングにも勝るものなしと言っても良いくらいの、何とも言いようのない位の心地良いウォーキングができる。冬は家を出るときは、それ相応にかなり冷えているが、ピシピシと頬を刺す冷感が心地良い。
最もつらいのは夏である。だらだらと、これでもかこれでもかと言った具合に汗が出て疲れる。
でも歩いた後のシャワーの爽やかさはまた格別だ。

ときに歩きがながら、下手な俳句や短歌を口ずさんでみたり、今日1日の予定をあれこれ考えることもある。
たまには朝から何となく気分がすぐれないような時も、歩いている内に元気になってくる。
無意識の内に考え事をしながら歩いていることもあるが、じっとして考えるよりもまとまりが良いように思える。

ウォーキングは交通機関が発達してきて運動不足が社会問題になってきてから、クローズアップされてきたものである。
また、人間の脳は二足歩行になってから、飛躍的に発達したと言われている。
歩くことで、血液の循環がよくなり、脳に刺激を与えることで脳が活性化する。
ウォーキングは認知症予防にも優れた効果があると言われている。

運動ということを考えると、散歩ではなくやっぱりウォーキングが良い。
散歩は、天候の良い時その時候の自然を感じながらリラックスしてゆっくり歩くことで、気分転換もでき、それなりの効果もあるだろう。

ウォーキングは運動を中心に考えて、普通の歩く早さよりも少し早めに「有酸素運動」を意識してひたすら歩く。
ウォーキングは有酸素運動の代表選手と言われるほどである。
その日の体調によって、散歩にするかウォーキングにするかを選んでも良いだろう。

※〔有酸素運動〕:脂肪や糖質を酸素によってエネルギーに変えながら行う、規則的な繰り返しのある比較的軽い運動。
ジョギング・ウオーキング・水泳・エアロビクスダンスなど。・・・・・(デジタル大辞典より)

※〔無酸素運動〕:脂肪や糖質を使わずに、筋グリコーゲンやATP(アデノシン三燐酸)を一気にエネルギーに変えて行う運動。
グリコーゲンは分解されて疲労物質である乳酸になる。
発生するエネルギーは大きいが、持続しない。
短・中距離競走・筋肉トレーニングなど。・・・・・(デジタル大辞典より)

ヘンドリック・アーフェルカンプ (1585年 - 1634年) オランダの画家

ヘンドリック・アーフェルカンプ (1585年 – 1634年)
オランダの画家

(038) 時にはストイックなひと時も良いものだ

昔 人に誘われて、厳しい修行で知られる福井県の曹洞宗総本山「永平寺」の体験修行をする機会があった。

1回につき3泊4日の修行で、朝3時起床から夜9時就寝まで、終日座禅の連続である。
外界とは完全に隔離された状態で、もちろん新聞もテレビもラジオも何も無い。
飲食は精進料理のみ。聞こえてくるのはひぐらしの鳴く声だけ。

2日目あたりが最も苦しくこのまま続けられるかが心配であった。
3日目になると苦しさを通り越し、精神が浄化されたような気分になり、とてもさわやかな気持ちになったことを覚えている。この非日常が忘れられず、1年おきに通算3回この体験修行へ行った。

修行の際、このように感じたことを思い出す。「娑婆に居れば煩悩の渦に悩まされる日々を送らなければならない。ここでは外界と遮断された状態で生きて行くことができ、人間にとってはとても贅沢な生活ではないだろうか?」などと思った。

しかし、これは仏法への感性の乏しい私のような者が、非日常を少しばかり体験しただけでの感想であり、これが生涯続いた場合は如何なるものか。
仏に仕える身の生活と、一般人の生活とを比べること自体が不遜なのであろう。

時にはこのようなストイックなひと時を持つことで、自分なりに少しは精神性が高められるような気がするのである。

修行をしたからといって、これが精神にどの程度関与したかどうかは、しかとは自分では感得できないが、何からの響きがあったようなそんな気はする。

曹洞宗の開祖「道元」の教える*只管打坐(しかんたざ)に強く興味をもったので、その後座禅専用の座布団を求めた。
その頃京都に住んでいたので、すぐに買い求めることができた。今はネットでも求めることが出来るようだ。

そして、自宅で何回か座禅を組んだこともあるが、寺院での座禅の時のような感応を得ることはむずかしく、最近ではまったく縁遠くなってしまった。これを機に、最寄りの禅宗寺院で参禅したいと今思っているところである。

この修業は、私にとっては思い出に残る貴重な体験であった。
また、巨大な樹林に佇む荘重な永平寺の伽藍とともに、7月とは言えひんやりとした空気の中に響いてくる、心地良いひぐらしの鳴き声が印象的だった。

*只管打坐: 余念を交えず、ただひたすら座禅すること。
「只管」はひたすら、ただ一筋に一つのことに専念すること。「打坐」は座ること、座禅をすること。<http://www.mitene.or.jp/~katumin/eiheiji/sonota/taiken/taiken.htm
〔永平寺参禅・体験修行案内〕

永平寺

(037) ウォーキングの効用

ここ数年春夏秋冬、特別なことがないかぎりほとんど毎日1時間ほど歩いている。
早朝、日が昇る直前ごろ家を出る。春や秋はウォーキングにも勝るものなしと言っても良いくらいの、何とも言いようのない心地良いウォーキングができる。
冬は家を出るときは、それ相応にかなり冷えているが、ピシピシと頬を刺す冷感が心地良い。最もつらいのは夏である。
だらだらと、これでもかこれでもかと言った具合に汗が出て疲れる。でも歩いた後のシャワーの爽やかさはまた格別だ。

ときに歩きがながら、下手な俳句や短歌を口ずさんでみたり、今日1日の予定をあれこれ考えることもある。
たまには朝から何となく気分がすぐれないような時も、歩いている内に元気になってくる。
無意識の内に考え事をしながら歩いていることもあるが、じっとして考えるよりもまとまりが良いように思える。

ウォーキングは交通機関が発達してきて運動不足が社会問題になってきてから、クローズアップされてきたものである。
また、人間の脳は二足歩行になってから、飛躍的に発達したと言われている。
歩くことで、血液の循環がよくなり、脳に刺激を与えることで脳が活性化する。
ウォーキングは認知症予防にも優れた効果があると言われている。

運動ということを考えると、散歩ではなくやっぱりウォーキングが良い。
散歩は、天候の良い時その時候の自然を感じながらリラックスしてゆっくり歩くことで、気分転換もでき、それなりの効果もあるだろう。
ウォーキングは運動を中心に考えて、普通の歩く早さよりも少し早めに「有酸素運動」を意識してひたすら歩く。
ウォーキングは有酸素運動の代表選手と言われるほどである。
その日の体調によって、散歩にするかウォーキングにするかを選んでも良いだろう。

※〔有酸素運動〕:脂肪や糖質を酸素によってエネルギーに変えながら行う、規則的な繰り返しのある比較的軽い運動。
ジョギング・ウオーキング・水泳・エアロビクスダンスなど。・・・・・(デジタル大辞典より)

※〔無酸素運動〕:脂肪や糖質を使わずに、筋グリコーゲンやATP(アデノシン三燐酸)を一気にエネルギーに変えて行う運動。
グリコーゲンは分解されて疲労物質である乳酸になる。発生するエネルギーは大きいが、持続しない。短・中距離競走・筋肉トレーニングなど。・・・・・(デジタル大辞典より)

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(036) ものを「書く」ことの効力

(037) ものを「書く」ことの効力

「ものを書く」という行為は、そこに「考える」という副産物を伴うため、いろいろな効果を得られるのではないかと思う。

例えば、次のようなことが考えられる。

1.「書く」ことは、自分と向きあうことになるので、自己分析・自己洞察に繋がる。
2.「書く」ことは、自分のモチベーションの向上に繋がる。
3.「書く」ことで、自分の考えが整理され、掘り下げられる。
4.「書く」ことで、断片的に漫然と思考していることが整理され、
  系 統 立てて物事を考えることができるようになる。
5.「書く」ことは、記憶力の向上につながる。
6.「書く」ことで、感情の浄化作用が行われる。
7.「書く」ことが、自分と折り合いをつけることになり、ストレス開放に繋がる。
8.「書く」ことで、過ぎ去ったことの追体験が可能になる。
9.「書く」ことで、文章作成能力が高まる。
10.「書く」ことで、新しいアイデアが浮かんでくることがある。
11.「書く」ことで、自分のミスに気づく。
12.「書く」ことで、思考力を鍛えることが出来る。

これ以外にも、人によってはもっと別な利点を感じている人もいるであろう。
「書く」内容は人ぞれぞれである。ブログでもSNSでも、また日記などは更に利点があるように思われる。
特に日記については、カウンセラー、ソーシャルワーカー、セラピストの人たちも、患者の方にこれを勧めているとのことである。そして「書く」ことを習慣づけることで効果は上がる。
また一般的に「手書き」の方が、効果は上がると言われている。

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(035) 海外旅行はその国の歴史を調べてから旅行すると楽しみが倍加する

昨今は海外旅行も日常的なものとなった。
海外旅行といえば、やはりその土地の名所旧跡を見て回ることが多いであろう。
見て回るだけでもそれはそれで楽しいことであろうが、折角の海外旅行であれば、もっと心に残るような旅をしたいものである。
そのためには、その国の歴史を前もって勉強して行くことではないかと思う。これが中身の濃い旅行のためには、最も効果的ではないだろうか。

観光を予定している国の歴史を、ネットなどで出来るだけ詳しく調べて頭に入れておく。
コピペなどして旅行に持参して行くのも良いだろう。余裕があれば、事前に(その国・その時代)の小説を読んだり、映画を見たりしておけば、なおさら観光の味わいが深まろう。

また有名な絵画展などが旅行の予定に入っているのであれば、どんな絵画が展示されているのかを事前にネットや本などで調べておく。
さらに気に入った絵画の描かれた場所を調べておいて、そこを訪れてみたりすると興味も倍加することだろう。

例えば、パリ:ノートルダム寺院を訪れた時、ビクトル・ユーゴーの小説「ノートルダム・ド・パリ(邦題:ノートルダムのせむし男)」を思い出して、更なる好奇心を掻き立てられることもあるだろう。
また、画家ユトリロがよく描いたモンマルトルの一角、今でも店を開いている酒場「ラパン・アジル(うさぎ亭)」に行ってみる、など様々な旅の楽しみ方もあるだろう。

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(034) 親の遺伝子にこだわってはならない

当然、科学的には親や祖父母など先祖の遺伝子を、ある程度は受け継いで生きているのだろう。どのような遺伝子をどの程度受け継いでいるのかは分からない。
よく世間では、善かれ悪しかれその人の性向や習性を見て「親がこうだから・・・・」などと、言ったりする。
自分自信もまた、善かれ悪しかれ「親がこうだったから・・・・・」などと思ったりする。

かりに、親の悪しき遺伝子(例えば、博打好きとか大酒飲みのか)を受け継いでいるのではないかなどと思ってしまうと、それを払拭したいと努力しようとする。
「努力しようとすればするほど、それから逃れられないような気になり深みにハマり込んでしまう。」
・・・と、このようなこともあるだろう。

世の中には、親とはまったく逆の性向や習性を持っているように見える人もいるし、また親と同じような性向や習性を持っているように見える人もいる。
顔かたちや肉体的なものは明らかに受け継いていると見られる場合は多いが、特に精神的な遺伝子の場合は(私の個人的な印象としては)遺伝的継承性は低いように思われる。
「人間の性向や習性は生まれてこの方生活してきた環境によって、そして生きてきた時代によっても、大きく変化するものである。」
このことは、誰もが実感しているのではないだろうか。

親や祖父母くらい迄はその性向や習性を見聞きして、何となく想像できるかもしれないが、それ以前の先祖の人たちがどのような性向や習性を持っていたかを掴むのはなかなかむずかしい。
おそらくそれぞれの時代の環境によってその行動パターンも、大きく変化してきているだろう。
先祖の何代もの間で受け継がれてきた遺伝などというものがあるのだろうか。
それを考えてもあまり意味のないことのように思われる。

という訳で、遺伝子などにあまりとらわれる必要な無い。とらわれすぎると、自分の真の生き方が阻害されてしまうのではないだろうか。人の幸不幸は遺伝子が決めるわけではない。

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(033) コンピューターのデータ量単位が、ますます巨大になってきた

最近「ビッグデータ」という言葉はよく耳にするようになった。
これとともに、データ量の単位も(ペタバイト、エクサバイト)などの、聞きなれない単位もたまに目にするようになってきた。

● 「ビッグデータでどんなことができるの?」 http://goo.gl/oKahUi
「ビッグデータ」という言葉を見聞きする機会が増えています。情報端末の進化やソーシャルメディアなどのIT(情報技術)サービスの普及にともない、多様で大量のデジタルデータが日々生まれるようになりました。これがビッグデータです。データを処理・蓄積する情報機器の性能や分析技術が飛躍的に向上したことにより、ビッグデータをマーケティングや商品開発、業務改善などビジネスに生かす企業が増えています。国や自治体も注目しており、防災や医療、農業など様々な分野で活用が期待されています。
〔nikkei4946.com より〕

ビッグデータ図解-日経

ビッグデータ図解-日経

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【データ量を表す単位】
ビット(Bit) → バイト(Byte) → キロバイト(KB) → メガバイト(KB) → ギガバイト(GB)
→ テラバイト(TB) → ペタバイト(PB)→ エクサバイト(EB)

(1ペタバイトを単位変換した場合)
1,000兆バイト →  1兆キロバイト → 10億メガバイト → 100万ギガバイト
→ 1,000テラバイト → 0.001エクサバイト

・CD=約140万枚分
・片面1層式のDVD=約20万枚分
・25GBのBlu-ray Disc=約4万枚分
・32GBのiPhone=3万2千台分

(一般には想像もできないような数字ですね)
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ビッグデータは、主に企業がマーケティングや商品開発、業務改善などビジネスに生かすために利用するものであるが、対称となるのは私達個人のデータである。
個人情報保護にはこれまで以上に注意してもらいたいところである。

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(032) 「計画された偶然性」でチャンスを掴む

「計画された偶発性理論」(Planned Happenstance Theory)というものがある。

これは、米スタンフォード大学のジョン・D・クランボルツ教授が提唱したキャリア理論で、個人のキャリア形成は予期せぬ偶発的な出来事に大きく影響されるものであり、その偶然に対して最善を尽くし、より積極的な対応を積み重ねることによってステップアップできるという考え方である。

昨今は昔と違って転職する人も多く、よくキャリア形成の話を耳にするようになった。キャリア形成とは、「なりたい自分」をかかげ、それを叶えて行くためのプロセスを言う。とは言っても、計画通りに進まないのが現実である。

特に変化の激しい現代においては、あらかじめ計画したキャリアに固執しすぎたりすると、逆にうまくいかないことだってあるだろう。

クランボルツ教授は「個人のキャリアの8割は、予想しない偶発的なことによって決定される。」と言っている。 この理論は、「個人のキャリア形成をもっと幅広くとらえ、その偶然を積極的に利用し、これを最大限に活用しよう。」
と言っているのである。これを実践するために必要な行動指針として、クランボルツ教授は次の5つを挙げている。

「好奇心」 「持続性」 「楽観性」 「柔軟性」 「冒険心」

偶然な出来事を誘発させるためには、まずは行動を起こすことが必要である。あまりがんじがらめに考えずに、漠然と将来起きてほしい偶然の出来事を想い描き、その方向性を考えながら行動を起こしてみる。

好奇心にもとづいて、学んだり、探し求めたりしながら、新たな「偶然」が自分に舞い込んでくるように仕向けていく。
いつも心にアンテナを張っていれば、直接は関係のない仕事などからも「偶然」に出くわすこともあるかもしれない。

興味のあることとか、自分を試してみたい何かがあれば、積極的にそこへ飛び込んでみる。また、それに関係あるような仲間を作っていく。

(この理論ではこのようなことが考えられるのではないだろうか)と、自分なりに考えてみた。
どうしても今の仕事に行き詰まっているとか、定年間近で次の仕事を模索中の人などは、この理論も考慮の一つに入れておいても良いかもしれない。

それなりのスキルを持っているとか、そうでなければ今までに培ったキャリアを活かすことを考えた上で、行動することが大切なように思う。

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(031) 音楽は聴く場所によって心象が違ってくる

以前、中欧のツアー旅行でモーツアルト生誕の地ザルツブルグへ立寄ったことがある。ザルツブルグ観光を終えバスで次の観光地ウイーンへ向かう際、ツアーコンダクターの方が日本から準備してきた、モーツアルトのCDをバスの中で聴かせてくれた。

その時、いつものとはまったく違う琴線を震わすような感動的なモーツアルトに聴こえた。私のような素人視聴者にとっては、かくも聴く場所にによって感興が異なるものなのかと思ったものである。なぜこうも異なる感興が自分の中に起こったのか。

モーツアルトという意識が強く私の心を占めていたからかもしれないし、ザルツブルグという旧市街の残像が強く頭に残っていたからかもしれない。(モーツアルトの作風とは直接関係のないことだが、その日は小雨交じりの日でもあり、ザルツブルグ旧市街は冷たく城壁にかもまれ、人を拒絶するかのような冷徹で暗い印象を持った。)
また私自身の性分が左右するところも大きいのかもしれない。

当時のことを思い出して、何事を始めるにもやはりそれなりの雰囲気を整えることも大切なんだろうなと、最近思うようになった。とくに音楽を聞くときは、部屋にそれらしい絵画や写真を壁に掛け、窓辺に花でも置いて聴こうかななどと思っているところである。

ウジェーヌガリエン-Laloue (1854-1941)

ウジェーヌガリエン-Laloue (1854-1941)